愛犬の死、東日本大震災、今年は本当に色々あるって思っていた
愛犬の死、東日本大震災、今年は本当に色々あるって思っていた
4月15日の朝 北九州から叔母がクモ膜下出血と連絡が入った
連絡経路が いとこ→母→妻→私
と連絡 このため詳細がまったくわからない
数年前に 事務員がクモ膜下出血で事務所で倒れ、その後昏睡状態 2週間後に死亡したこともあり、私の家族も死を覚悟しパニック状態だった。
私の母は叔母と非常に仲が良く、すぐに北九州に行きたいと
ところが、東日本大震災の影響で、飛行機も新幹線もアウト
飛行機で行くには仙台から山形に、そこから飛行機で東京
更に飛行機か新幹線で福岡に向かうことになるのだが
私もおふくろと一緒に北九州に向かうことに
その後、連絡があり 4月15日 13時から手術 予定手術時間は5時間と連絡があった
昼に銀行との打ち合わせがはいり、その後、すぐに出発した
13時半に仙台を出発
車の中でも本当に落ち着かない様子のおふくろ
仙台を出発し 東北道で郡山→新潟→京都→大阪→山口→北九州 約1400キロメートルの道のりだ
北九州に到着したのは 4月16日朝7時でした
途中で手術時間が8時間近くになり、本当に心配そうなおふくろにいとこから電話があった 手術は21時前に無事終了 何とか命は無事な様子
北九州到着後叔父から詳しく話を聞く
叔母の頭には静脈瘤が2つありその一つが破裂した 手術により止血は完了 脳が腫れているためICUに
出血した血液が固まり縮むときに脳に影響があり、後遺症になる これを防止するために出血した血液が縮まないようにする治療と、今後残っている静脈瘤の治療を行うとの事だった
入院期間は約3週間
私も家族も、クモ膜下出血で倒れて救急車で運ばれたと思い込んでいたが、実際は叔母は意識もあり叔父と2人で歩いて病院に行った様子だ ソウトウの激痛であったはずだからびっくりだ
4月16日の午後からICUで叔母と面会 話すこともできて、手足に麻痺がある様子もなく本当にホッとした
結局、4月17日の日曜日に体を休め 4月18日の午後2時頃北九州を出発し 4月19日朝7時に仙台に到着した
北九州の叔父叔母のところにはよく遊びに行くのだが、5日間で往復はさすがにきつかった 実質中1日だから
まだ、何がおきるかわからない、すこしホッとしました